この作品については、私はこのアルバムアートにとても思い入れがあります。

Mytyl と数年振りに連絡を取ったのは、11月の終わりでした。
その日は弟のちょうど半年の月命日で、あいにく両親が不在にしていました。
私は錯乱し、弟の後を追うことしか、考えられなくなっていました。
そんな時、最後に縋る相手として、Mytyl に助けて貰おうと思いました。
もう何年も音信不通だったので、Mytyl から連絡が返ってこなければ、私はきっと自殺していたと思います。
Mytyl が私の命を救ってくれました。
それから毎日会話をしていく中で、私は Mytyl も気付いていなかった Mytyl の核心を見抜き、最初は動揺していた Mytyl も少しずつそれを受け容れ、変容していきました。
そして、その年の年末に、Mytyl はもう我慢ができないと、私に逢いに来ました。
Mytyl が先に着いていたので、私が到着するまでに待っている時に撮影した、宿泊するホテルのすぐ近くにある公園が、このジャケットです。
そして、このタイトルも確かその頃からつけられていたと思います。
ミチルの核心を突いたことは、まさに、Mytyl にとって「生まれ変わり」だったからです。
そして、私と Mytyl にとって、大切なこのジャケットとタイトルで、とても綺麗な作品を作ってくれたことが、私はとても嬉しかったです。
Mytyl の変容はとても大きなもので、だからこそ私も、それに感応して、変容していきました。
昔の私たちでは考えられないような、穏やかな蜜月を、逢えない日々でも過ごしています。
なので、これもまた、Mytyl にとっての、ひとつの転換期となる作品だと、私は思っています。